永享10年(1438年)長尾忠房が関東管領上杉憲実の為に築いたものとも云われるが定かではない。 平井詰城とも呼ばれ、関東管領山内上杉氏の居城である平井城の詰めの城と考えられている。
城は平井城の南西の山の上に築かれている。 主郭は山頂にあり、東へ伸びた尾根の先に物見台、北へ伸びた尾根の先に井戸曲輪、櫓門跡などがある。
主郭から北尾根へ通じる道は堀切に土橋が架かる。尾根先の井戸曲輪は発掘調査によって復元された井戸があり、そこから北尾根へ下りて行くと櫓門跡と呼ばれる、東西両側に門の礎石があり、この周辺の曲輪の側面に石積が残っている。実はこの先にも櫃岩(かろうといわ)などの遺構が残っていたらしいのだが、ゴルフ場の方にどんどん下りて行くのでもう何も無いものだと勘違いして引き返してしまった。おそらくこちらからが大手であったと思われる。
主郭から東へ伸びた尾根はなだらかな平地が続き先端部分に物見台とされる一段高くなった曲輪がある。その先は僅かに堀切が残る程度で、北尾根程の加工は少ない。こちらから登って来る途中に石積された平場が多く残っているのだが、付近の人に尋ねた所、畑として使用されたもので城とは関係のないものだということである。
県道175号線沿いにある日野小学校を目指せば登山口に大きな看板がある。
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