慶長2年(1597年)に築かれた。築城は加藤清正、浅野幸長、宍戸元続らであった。
文禄の役の和睦交渉が破断となって慶長の役が起こると、加藤清正らが再び渡海して西生浦倭城に入城、そこから北へ進出して蔚山倭城を築いた。
わずか40日ほどで完成目前であったが、明・朝鮮の大軍が押し寄せ、籠城戦が始まった。日本軍は籠城の準備が整っておらず、加藤清正は西生浦へ出かけて不在となっているなかでの開戦で、総構えを突破されて内城での攻防となった。籠城戦は激戦となったが、西生浦からの援軍も駆け付け撃退した。
慶長3年(1598年)8月には再び大軍を率いた明・朝鮮軍が現れたが、日本軍は準備万端で固く守って籠城しこれを撃退した。
蔚山城の戦いののち、秀吉が没して諸将に帰国命令が発せられ、蔚山倭城は廃城となった。
蔚山倭城は釜山地方文化財記念物第7号に指定され、鶴城公園として整備されている。
小山全体が城跡で、かつては市街地のなかに2つの子城(出城)なども残されていたというが、現在は消滅している。
山頂の主郭は北と東に虎口があり、北は右折れで入る構造で発掘調査されたようであるが、ブルーシートで固められている。
主郭の北下には二の丸、北西下には三の丸があり、石垣が一部確認できる。また東麓の辺りも石垣が確認できる。
主郭から南東と北東に伸びる2つの登り石垣がある。
公園内にトイレあり、北側に駐車場がある。
鉄道釜山東海線 太和江駅(旧蔚山駅/テファガン/Taehwagang/태화강역)からバスに乗り換え、バス停が北の公園入口にある。