大宗17年(1417年)朝鮮王朝によって築かれ、高宗31年(1894年)まで存続した。
兵営城は朝鮮王朝の陸軍の軍事基地で、文禄の役では加藤清正によって攻められ落城し、石材は蔚山倭城築城のために持ち去られたと伝えられる。
蔚山兵営城は居住空間を囲い込むように城壁を巡らせた城で、北側が丘陵で高台となり南が低い地形に築かれている。
現在は北半分ほどが調査復元され、公園として整備されている。
城壁は外側が石垣、内側は石垣はなく土塁のままで、石垣の外側には堀があり、堀も石垣を用いていたようである。朝鮮式の石垣は基底部の石がわずかに外に出る形で上は垂直になっている。基底部のすぐ上にある石は大きく、さらに上の石は小さなっている部分が多い。
城壁には東、北、西に甕城(おうじょう)と呼ばれる虎口があり、西門には矢穴のある石や柱穴のあいた門礎石二基が確認できる。また稚城(ちじょう)と呼ばれる城壁の外側に張り出した櫓台状の遺構もある。
鉄道釜山東海線 太和江駅(旧蔚山駅/テファガン/Taehwagang/태화강역)からバスに乗り換え。蔚山倭城からもバスでアクセス可能。