詳細不明。安宅一族の内乱時に阿波から小笠原右近大夫が来援して守備したという。
古武之森城は標高301mの古武之森と呼ばれる山に築かれている。
主郭は山頂にあり西下に一段曲輪が付いているが、その先の尾根は自然地形の緩斜面となっている。主郭の北尾根は連続堀切を設けて遮断し、北端部は北と北西尾根の合流点で堀切と連続竪堀で畝状竪堀群のような形にしてある。主郭の北端部の堀切側に若干の石積があり、南西の腰曲輪の外側に礫状の石が散乱している。
安宅氏の城館は横堀や石積を伴う堀切を用いるなどの特徴がある。一方東に隣接する周参見氏は畝状竪堀群を用いた城館を築いている特徴がある。この古武之森城には畝状竪堀群のような遺構があり、かつ、北西の尾根伝いには安宅氏の勝山城が存在することから、この古武之森城は周参見氏の城ではないかと推測できる。しかし、この城を訪れるために再訪した勝山城で畝状竪堀群の遺構が存在することが確認できたため、そう単純な話でもなさそうだ。しかし、勝山城はこの古武之森城方面に五重の堀切を設けており、古武之森城は勝山城方面にのみ堀切を設けているとなると、勝山城に敵対する勢力の城であった可能性は高いように思う。