築城年代は定かではないが周参見氏(須佐見)によって築かれたと云われる。 周参見氏は藤原秀郷の後裔を称し、応永8年(1401年)に周参見庄に土着して藤原城を築き居城としたことに始まるという。
天正13年(1585年)羽柴秀吉の紀州攻めで、周参見城主周参見主馬太夫は降伏し所領を安堵された。その後は秀吉の水軍衆となり文禄・慶長の役などに従軍した。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で西軍に属した主馬太夫は戦後捕らえられ、京で入牢の身となり、慶長7年(1602年)に没した。
周参見城は周参見駅の東にある標高70m程の山に築かれている。現在山頂の主郭には神社がありお寺から参道が付いているが、周囲は急峻な岩山である。
主郭は神社の境内となっている山頂部で北側から東にかけて分厚い土塁がある。北側面、南側面の一部にも石積が確認できる。
主郭の南下に曲輪II、北東下に腰曲輪IIIがある。周囲は急坂で竪堀状の溝もあるが行こうかどうかはっきりしない。北東背後の尾根も堀切状になっている。
参道の入口である萬福寺は周参見氏の菩提寺だという。
周参見駅の東側にある萬福寺の境内奥から神社への参道がある。参道入口には柵があり、入山するには萬福寺に一声かけるように注意書きがある。
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