築城年代は定かではないが享禄年間(1528年〜1532年)安宅河内守によって築かれたと云われる。 安宅氏は橘姓で足利尊氏の命により淡路国沼島の海賊を退治するため、淡路国由良に居城していたという。
南北朝時代の初期に淡路より移り安宅本城を築いて本拠とした。 室町時代には熊野水軍を率いて淡路もその勢力に治めていたが、享禄3年(1530年)実俊の跡目を巡り、子安定丸と弟定俊が争い安宅一族の勢力は衰退する。
天正13年(1585年)羽柴秀吉による紀州攻めで帰参し羽柴秀長に仕えた。
安宅本城は日置川東岸に築かれていた。安宅橋東詰に案内板があり、その下方に見える民家の部分が城跡である。
安宅本城は南側の宅地の部分で周囲に堀跡が巡り井戸が残されているという。北側の民家の部分も館跡とされる。