掲載写真数
形態
山城(460m/220m)
別 名
なし
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀
城 主
河野氏
歴 史
築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1336年)に河野通武によって築かれた。
風早郡河野郷を拠点としていた河野氏が
湯築城に移った後に築かれ一族を入れ以後南氏を名乗った。
天正13年(1582年)豊臣秀吉による四国征伐によって小早川氏が攻め寄せ善戦するも小早川隆景が直接攻城を指揮するにいたり落城した。
説 明
松山市野外活動センターから尾根伝いに行くことができる。
歩きだしてすぐに数条堀切があり背後の曲輪となる。
更に進むと大岩が現れ本丸となる。
本丸から更に北に曲輪が続く。
本丸と北に続く曲輪には大岩が無数にありそれをうまく利用した構造になっている。
岩には無数に柱を組んだであろう穴が残っており櫓や木戸として利用されたようである。
本丸にある大岩には雨水を溜めたと思われる彫込みが2箇所あり水の手には苦労したことを想像させる。
案 内
最寄り駅(直線距離)
4.2km 粟井駅
4.4km 光洋台駅
4.9km 柳原駅
5.2km 堀江駅
6.6km 伊予北条駅
所在地/地図
最終訪問日
2006年10月