築城年代は養和元年(1181年)説など諸説あって定かではないが、貞治3年・正平19年(1364年)には河野氏によって築かれていた。
文明11年(1479年)細川義春が讃岐・阿波の軍勢を率いて伊予に侵攻した時、河野通生が一族を集めたのが三十三台城と考えられている。
城は高縄山から北に派生した尾根にある標高402mの神途山山頂に築かれている。
主郭は定かではないが、山頂部は櫓台状に盛り上がった地形で頂は平坦ではなく、溝状の凹凸がある。ここを中心として北の尾根、南東の尾根、南西の尾根に曲輪を配している。
北の尾根はおそらく一番広い曲輪があって南北に長く、その北側に一段あって堀切を挟んで細尾根となる。この先にも小郭がある。
南西の尾根は二段あって南側面に石積があり、堀切を隔てて更に削平地があるが、南端は登山道によって破壊されている。
南東の尾根にも二段あって南端に土塁がありその先に堀切がある。縄張図ではその先も小郭があるが、これも登山道によって破壊されており明瞭ではない。
南西と南東に伸びる尾根の間には階段状の平坦地が弧状になって、石積みが段々と築かれている。
猿川の本村にある三島神社を目指す。この神社の入口脇から高縄山への登山道が伸びており、これを登れば城址にたどり着く。城跡に目印はないが、西へ進んだ道が180度まわって東へ向かう地点が南西に伸びた尾根である。
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