『伊予温故録』によれば、宮田氏の居城片山城の属城で与力八人(土居伊豆、竹鼻上総、竹内弥六、井上上讃岐、東市之助、岡田善助、宮下雅楽、中屋三郎兵衛)のうち誰かが在番していたという。
飯盛城は標高630mの山に築かれている。
ほぼ単郭の城で、山頂に南北にやや長い楕円形の主郭Iがあり、南半分に帯曲輪IIが巡る。
東に伸びる尾根はやや幅広い二重堀切1で遮断、北尾根は竪堀を鋭角に組み合わせた堀切4の脇に竪堀を互い違いに組み合わせたような竪堀群5を配している。竪堀群5は東の一条は明確な竪堀であるが、西側は不明瞭である。
南西に伸びる尾根は二重堀切2(外側に浅い凹みがあり三重の可能性もある)で遮断しているが、西側面は堀切から伸びる竪堀と組み合わせて竪堀群3を設けている。この西尾根側に横矢が掛けられるように小規模な帯曲輪III、IVを設けてあり、工夫が感じられる。
作業林道が無数につけられており、それを登って行くと主郭近くまで行ける。入口は北麓の県道40号線と220号線の交差点付近にあり、東側の余白に車は駐められる。