詳細不明。城主は大野氏あるいは土居氏など諸説ある。
土居氏は伊予郡松前から土居下野守方玄が移ってきて麓に居館を構えたのが始まりで、後に幼い孫九郎方貞が家督を継いだことから、大除城主大野直昌が後見人となったという。
また、太田城主であった大野氏が大除城へ移り、その後に土居氏が居城したとする説がある。
太田城は旧小田町役場の東側にある「城の台」と呼ばれる山に築かれていた。
現在の城の台公園となっているところであるが、公園内に案内板や標柱などは見あたらない。『愛媛県中世城館跡』によれば標高284mの最高所から北西に向かった段曲輪が連なり、南は堀切、東側面には数条の竪堀らしき遺構があったようである。現在の公園は標高250m付近で広大に削平しており、城の遺構は消滅しているようである。
城の台公園に無料の駐車場がある。