詳細不明。『愛媛県中世城館跡』では「助左衛門居城(天正8年討死)」とする。
京森城は興野々と本村の間に聳える標高363.9mの山に築かれている。
山頂部の東端を堀切1で遮断し、そこから西の尾根先までを城域としている。
最高所は曲輪Iで中央部が一段高く、東端の堀切1に面して土塁がある。西の曲輪IIは主郭よりやや低くなり、緩やかな高低差で西の尾根先まで続く。東端の堀切に近い部分以外は切岸は緩く、西の尾根先側には堀もない。
曲輪IIの西端部分には神社跡があり石積や文化13年8月吉日と刻まれた手水鉢がある。
北側山腹は緩やかな地形であるが、ここに曲輪IIIがあり、東は竪土塁と竪堀2、西は竪土塁3で区画している。曲輪IIIは耕作地になっていた痕跡があるが、竪土塁と竪堀で囲い込んでいるので曲輪と見て間違いない。
南麓の興野々集落から尾根背後に続く山道がある。
昔はここから登っていたというところを地元の方に教えていただいたが、宅地裏から山麓の畑跡までの間は薮になっている。防獣柵があるが、国土地理院の点線の部分に開口部があり、そのまま畑跡の道をたどるとやがて堀底道になっていく。
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