正平16年・康安元年(1361年)高橋師光によって築かれたと云われる。
正平16年・康安元年(1361年)ニツ山城の出羽氏を攻略した高橋師光・貞光父子は本城を築いて藤掛城より居城を移した。高橋氏は本城氏とも名乗り、以後、石見・安芸・備後などに勢力を伸ばしたが、享禄3年(1530年)高橋重光・興光が毛利元就によって滅ぼされ滅亡した。なお、尼子の侍大将本城常光は高橋氏の一族である。
本城は道の駅「瑞穂」の北西に聳える標高486.0mの山に築かれている。
この本城の最大の特徴は本丸とその北西下にある曲輪を連続堀切の如くズタズタに刻み込んだ破城を見ることができる点で、こういった処置を施された中世山城はこの本城の他、山形県の藤沢館や七日台館などごくわずかしか確認されていない。
本城は山頂から四方に伸びた尾根に曲輪を展開するが、主尾根は北東方面である。北西、南西の尾根のその先端を多重堀切で遮断しており、特に北尾根は連続堀切の下に放射線状畝状竪堀を配している。この部分は切岸からやや離れた位置にあり、途中に堀切をは挟んでいるのが特徴である。また南の尾根も堀切脇に畝状竪堀群がある。
道の駅から歩いて東麓の道路を登っていくと、途中左側に山に入って行く道がある。ここかり山に入り尾根上に登ればやがて城域に入る。