築城年代は定かではない。多胡氏累代の居城とも云われるがはっきりしない。
永禄年間(1558年~1570年)に福屋氏が毛利氏に反旗を翻したとき、福屋方であった余勢城で毛利勢と福屋氏で激戦が繰り広げられている。このとき尼子氏の有力な家臣となっていた多胡辰敬も福屋氏に加勢している。
余勢城は現在「余勢城跡 碑公園」となっている。
余勢城は公園化によって大きく改変を受けており遺構についてははっきりしない。舗装された公園駐車場より一段高いところに城石碑があり、ここが主郭と考えられる。
中心部の遺構ははっきりしないが、東下のあたりには広い削平地が広がっており一部土塁や竪堀状地形が確認できる。ただこのあたりはタタラのかんな流しなど、後世の改変が著しいということで、遺構の状態は不明である。
北の県道沿いに石碑公園入口の石碑があり、その脇に細い道を登ると広い駐車場がある。
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