築城年代は定かではないが貞応二年(1223年)頃に久永荘園別当荘官(和田氏か)によって築かれたと云われる。
久永荘に流罪となった富永祐純は子の朝祐の時、貞応2年(1223年)二ツ山城を築いて加茂社領久永荘を圧迫した為、久永荘園別当が築いたとされる。
康安元年・正平16年(1361年)阿須那の藤掛城主高橋師光・貞光父子は足利直冬の要請によって南朝方となり、出羽氏の居城二ツ山城を攻めたが、この時陣城として別当城が使用された。
永禄元年(1558年)毛利元就が小笠原氏を攻めたとき、先陣の吉川元春がニツ山城に入ると尼子方の出雲国高櫓城主本城常光・宇山氏・温泉氏・牛尾氏等が別当城に籠って毛利方と対峙した。この戦いでは毛利方の別動隊が羽須美方面からが別当城の背後を目指した為、形勢不利となった尼子方が退いた。
別当城は出羽川の東岸に聳える標高437.3mの山に築かれている。
主郭は山頂北側にあり、南に向かって数段の削平地を築いている。北へ伸びた尾根に一条の堀切、北側から西へ伸びた尾根にも一条の堀切を設け、西に向かって削平地がある。
和田地区からの登山道には途中井戸跡があり、このあたりは自然の谷となって細い屈折した土橋状の道が残っている。
登山道はいくつかあるようですが、和田地区からの登山道が整備されているようです。県道293号線沿いにある広和集会所の所から下和田橋を渡って突き当たりを右に曲ると登山道入口の道標があります。駐車スペースはないので広和集会所付近の路肩に駐車すると良いでしょう。
最寄り駅(直線距離)