築城年代は定かではない。井原氏の居城で南北朝時代には二ツ山城主の出羽氏に属していたが、戦国時代には温湯城主小笠原氏の支城となっていた。
弘治3年(1557年)雲井城は温湯城主小笠原長雄の子長秀が守っていたが、吉川元春を大将として福屋隆兼、出羽元実らが攻め寄せ落城、長秀は城を脱して温湯城へ逃れた。毛利勢はなおも日和城を攻略しようとしたが、これは攻め落とせず、雲井城に守備兵を置いて安芸へ引き上げた。
雲井城は標高431mの雲井山山頂に築かれている。
雲井城の遺構は山頂の主郭部(曲輪群I)、南西尾根の曲輪群II、南東尾根の曲輪群IIIの3ヶ所に認められる。
曲輪I1を中心とする主郭部は山頂から南西に向かってI2からI5の曲輪群を連ねており、削平も丁寧で切岸も高い。北背後の尾根は二重堀切4と堀切5の2ヶ所で遮断、南西尾根は曲輪IIとの間に堀切3を設けている。
曲輪群IIは南西に伸びた尾根に曲輪を設け、南端を二重堀切1で遮断する。北の堀切2はほぼ自然の鞍部である。曲輪はII1は広く削平し東側を土塁状に残している。II2は南北に伸びる尾根をあまり加工せずに利用するが、南端部は丁寧に削平している。
曲輪群IIIは南東に伸びた尾根に無数の小さな削平段を連ねているのみである。南端にも堀切はなく、主郭へは急坂を登ることになる。
道はない。南麓にある井原南区自治会館に駐車可能で、背後の谷から登った。
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