築城年代は定かではないが南北朝時代に小笠原長胤によって築かれたと云われる。 南北朝時代初期に佐波氏の所領に侵攻する為に小笠原長胤が拠点として築いたのが始まりとされる。
天文9年(1540年)出雲国富田城主尼子晴久は安芸国吉田郡山城主毛利元就を攻めたが、翌10年大内義隆の家臣陶晴賢が救援して尼子氏は敗退した。この時敗走した尼子勢が尼子陣所で落ち合い敗軍をまとめて帰路についたという。
出雲国赤名から石見国へ入った道はこの都賀で江の川を渡るようになっており、交通の要衝であった。
尼子陣所は乙谷川が江の川に合流する地点の北側の山塊に築かれている。 陣所は標高272m付近を北端としてそこから南東に伸びた尾根とそこから東西に派生する尾根に段が築かれており、北西端から南東端までは約900mに及ぶ。
尼子陣所の主郭は定かではなく、主に標高272mから南東の264.8mの尾根沿いに累々と段が設けられている。堀切や土塁はほとんど見ることができず、単に削平した土段を設けているのみである。
国道375号線から県道55号線に入り、都賀地区を越えて山道を登って行く。
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