築城年代は定かではないが室町時代後期に小笠原氏によって築かれたと云われる。
永禄元年(1558年)毛利氏は石見国へ侵攻し温湯城主小笠原長雄を降伏させると、小笠原氏を江の川北岸へと移し、交通の要所である丁城には重臣口羽通良を置いた。
城は江の川に高梨川が合流する地点の西にある山の東端の頂に築かれている。
現在は鉄塔が建てられているため一部破壊され、しかも周辺は笹が生い茂っていて地表面を観察することが難しい。
手持の縄張図では曲輪の周囲に無数の竪堀を設けていたようであるが、確認できたのは鉄塔保守用の道に残っていた二条の堀だけである。
今のような縄張に改修したのは毛利氏によるものと考えられ、丁城の出城として改修維持されたのではなかろうか。
城山の中腹に「水神宮」が奉られている。この参道を利用して「水神宮」へ行き、その脇から鉄塔保守用の道が通じている。
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