弘治2年(1556年)佐波興連・隆秀父子によって築かれたと云われる。 天文20年(1551年)佐波隆連は大内義隆に出仕して山口にいた所に陶晴賢の謀叛にあって討死した。隆連には嫡子がおらず幼い娘がいただけであったため、家督は興連の子の佐波隆秀が一時継ぐこととなり、興連はその後見人となっていた。
石見銀山を巡る毛利氏と尼子氏との争いが激しくなった弘治2年(1556年)、龍岩寺城にいた毛利方の佐波興連・隆秀父子が要路城を固めるために八幡城を築いた。
八幡城は三江線浜原駅の東方に聳える標高248.2mの山頂に築かれていた。 この八幡城は公園として整備されたのだが、公園化によって大きく削平され遺構はほぼ消滅している。しかも、現在は公園としての役目を果たしておらず、山へ通じる道は草木に覆われ、山頂部分も大半が薮化している。
浜原駅の前に周辺地図があり、それに八幡城の位置が記されている。登り口は駅の南から踏切を渡り車道を登っていった所にある。
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