築城年代は定かではないが小笠原氏によって築かれたと云われる。 一説に三代小笠原長胤によるもの伝えられる。小笠原に関しては温湯城を参照。
小笠原氏が当初築いたのがこの赤城といわれ、その後温湯城を築いて居城を移し、赤城はその支城となった。 永禄元年(1558年)に毛利氏に攻められた際には、温湯城に先駆けて毛利氏に攻められ、城兵は城を捨てて温湯城へ退いたといわれる。
赤城は江の川を見下ろす標高390.6mの城山に築かれている。現在は「赤城の森」として公園となっているが、あまり利用されていないようで幾分荒れている。江の川からの比高は350m余りあり要害であるが、山上の畑野集落からは比高100mに満たない山である。
赤城の主郭部は公園化されており東屋が建っている。南北に長い曲輪で改変を受けていると思われるが、それほど平坦ではなく、中央がやや小高い。
西へ続く尾根には二重堀切が設けられていたのだが、これも主郭下まで付けられた車道によって破壊され、竪堀となって伸びる二重堀がその名残である。主郭以外は笹藪になっていたりしてはっきりとしないが、削平地も切岸もはっきりせず、明確なのは主郭部のみのようである。
川本町役場から畑野集落へ続く車道がある。こちらから行くと反対側になってわかりづらいが、城山の東側から宅地の脇の細い道を入り、城山の北側にある無線中継施設に車道が通じている。ここに駐車スペースがある。
最寄り駅(直線距離)