文化財指定
なし/不明
遺 構
郭,堀
城 主
清原守信,清原保則
歴 史
天文11年(1542年)清原守信・保則父子によって築かれた。
天文11年(1542年)大内氏が出雲に侵攻すると清原父子は高取城を築き対抗したが破れ、父守信は自刃した。
また永禄3年(1560年)毛利氏による出雲侵攻では保則が籠って対抗したがこれも破れ保則も自刃したという。
説 明
民家の背後にある小さな丘に築かれている。
城址は道路側が削られているようで、道路側から登ると西側に堀切が2条あり頂部の曲輪跡にたどり着く。
その南側に一段下がって曲輪があり、ここには小さな社が奉られている。
案 内
最寄り駅(直線距離)
7.1km 潮駅
8.4km 沢谷駅
9.0km 石見都賀駅
9.1km 石見松原駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年10月