築城年代は定かではないが享禄4年(1531年)頃に口羽通良によって築かれたと云われる。
享禄2年(1529年)安芸と石見に勢力を持っていた高橋氏を滅ぼした毛利元就は、毛利庶流志道広良(一説に元良)の子、通良に口羽村を与え、石見への足掛かりとした。これにより口羽通良と称した。
口羽通良はその後も毛利氏の勢力拡大に貢献し、吉川元春、小早川隆景、福原貞俊などとともに毛利家を支えた。口羽氏は通良の後、広通、通平、元通と続き、関ヶ原合戦の後に毛利氏に従い萩へ移った。
琵琶甲城は口羽駅の西に聳える標高280m程の山に築かれている。
琵琶甲城は山頂の主郭を中心に北東から南西にある曲輪群と山腹の曲輪viiから南東尾根に続く曲輪群からなる。
主郭は東側面に石垣があり、南に虎口、西に若干の土塁が残る。北東へ伸びた尾根に曲輪が続き、北端の曲輪vにも所々石積があり、虎口もある。
主郭の南西下は高い岩盤の切岸があり、曲輪viがある。この西側に土塁状に残された尾根があり、その上に浅い堀切があることから、改修によって今の曲輪viを造成したものと思われる。この城の最大の見所といっていいのが、この曲輪viの北西山腹にある巨大な連続竪堀で、その規模と傾斜角度は圧巻で、連続竪堀は下部で合流している。
主郭から南東下に降った所にある曲輪viiは居住空間とも考えられる広さがあり、淵は分厚い土塁のようになっている。この曲輪から曲輪vへ登る道があり、これが本来の大手筋ではないかと思われる。この道を遮断するように巨大な竪堀3が落ちている。ここから南東尾根を下ると神社に至る。
南東の尾根先に宮尾山八幡宮があり、ここから登山道が主郭に通じている。
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