築城年代は定かではない。享禄3年(1530年)毛利元就が藤掛城の高橋氏を滅亡させると、その後に桂元重の代官児玉内蔵助が槇尾城に置かれた。
槇尾城は比高80mほどの山に築かれており、南はすぐに安芸国境、東は江の川を境に備後国境となる地点にある。
ほぼ単郭の城で東西に長い主郭の東下に南北に長い二郭が付属しており、虎口は明確ではない。主郭の切岸はしっかりしているが、二郭の切岸はやや甘い。
主郭部の周りに伸びる尾根をすべて堀切で遮断しており、西背後の尾根はやや埋もれているが二重堀切1で北は竪堀2が付属する。この二重堀切の上部に犬走がある。
東尾根を遮断する二重堀切4が一番明瞭で北へ伸びた竪堀は合流している。
長田集会所の北の山が城跡で、地元の方も城跡があるのはご存知であった。山へは山腹にある民家から山道を辿っていたようであるが、今は手入れされていないようで、西の道路から直接山に入っていくほうが簡単である。
車は長田集会所か西の道路沿いに駐車することも可能。
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