石見 藤掛城いわみ ふじがけじょう

城郭放浪記


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石見 藤掛城の写真
掲載写真数
形態
山城(358m/180m)
別 名
藤根城
文化財指定
なし/不明
遺 構
曲輪,堀切,竪堀
城 主
高橋氏
歴 史

築城年代は定かではないが高橋氏によって築かれたと云われる。高橋氏は備中国松山城主であった高橋師光が、南北朝時代に北朝方の高師泰に従って軍功があり、石見国阿須那を与えられ土着したことに始まるとされる。

北朝方として活躍した高橋氏であったが、延文6年(1361年)には南朝方に転身し、隣接する北朝方であった出羽氏を攻めて押領した。

高橋氏は阿須那の藤掛城を居城として石見のみらなず安芸や備後にも勢力を拡げていったが、享禄2年(1529年)高橋興光のときに大内氏から尼子氏に転じたことから、大内の命を受けた毛利元就によって安芸の松尾城が攻略され、藤掛城もまた攻められ、高橋興光の自刃によって開城、高橋氏は滅亡した。

説 明

藤掛城は出羽川とその支流の間を南北に伸びた山上に築かれている。

主郭は山頂にあって南北に長く、中央に土壇があり南北に区画される。このような土壇は櫓台とされるが櫓台ではないだろう。主郭の北西下と東下にやや広い曲輪がある他は小さな腰曲輪程度である。

主郭から南へ伸びる尾根には二重堀切、西下には浅い堀切の先に不明瞭な段曲輪がある。北尾根側は北西下の堀切や北尾根の二条の堀切が続く。北尾根にある小ピークには削平の甘い段曲輪群があり、古い時代の遺構とも考えられる。

案 内

羽須美中学校の北にある阿須那公民館のところに案内板が設置されている。

案内板にある東側の登山道を利用しようとしたが、道は途中でなくなってしまった。そのまま林道を西側へ回り込んで西から登るとやや緩い登山道が南の二重堀切のあたりに続いているようだが、現状こちらの道も通じているのかどうか不明である。

最寄り駅(直線距離)
4.3km 宇都井駅
5.2km 伊賀和志駅
5.6km 口羽駅
8.2km 江平駅
8.7km 作木口駅
主な参考文献
現地案内板
芸石国人 高橋一族の興亡(安芸高田市歴史民俗博物館)
石見の山城—山城50選と明らかにされた城館の実像(ハーベスト出版)
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成(16)(東洋書林)(島根県中近世城館分布調査報告書)
日本城郭大系〈第14巻〉鳥取・島根・山口(新人物往来社)
所在地/地図
島根県邑智郡邑南町木須田
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.6km 石見 観音城
1.8km 石見 鷲影城
2.0km 石見 坂本城
4.0km 石見 幡屋城
4.5km 石見 別当城
5.3km 石見 琵琶甲城
5.6km 石見 宇山城砦群白鹿城
6.2km 石見 宇山城砦群赤城
6.2km 石見 宇山城砦群毛城
6.3km 石見 槇尾城
7.5km 安芸 木原城
7.7km 安芸 行部城
7.9km 備後 比丘尼掛城2(森山西)
8.2km 備後 松笠城
8.2km 石見 尼子陣所
8.4km 石見 二ツ山城
8.5km 安芸 中山城(高宮町)
8.5km 備後 松前城
8.5km 安芸 陣ヶ丸城
8.6km 安芸 吹屋城
9.4km 備後 歌田山城
9.4km 石見 本城
9.6km 備後 比丘尼掛城1(森山中)
最終訪問日
2022年4月
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