正和2年(1313年)吉川経高によって築かれたと云われる。 吉川氏は駿河国入江荘吉川邑発祥で、正和2年(1313年)吉川経高が安芸国大朝荘に移り住んだことから安芸吉川氏が始まる。このとき経高は八十歳であったといい、文保3年・元応元年(1319年)に八十六歳で没している。
安芸へ下向した吉川氏が最初に居城としたのがこの駿河丸城とされ、以後四代経見の頃に小倉山城に本城を移すまでの居城であった。
駿河丸城は南へ張り出した丘陵の南端に築かれている。2005年に訪れたときには竹藪の中に埋もれていたのだが、現在はきれいに伐採され県道からでも山肌が見えるようになっている。
駿河丸城は南に開口した谷間を挟むようにコの字になった尾根に曲輪を配しており、谷間の東が本丸、西が二ノ丸とされる。本丸と二ノ丸の間は切通のような堀切で、外側は北の山から切り離すように空堀を設けている。
浜田道寒曳山paの南東付近が城跡で県道沿いに道標が出ている。 駐車場はないが、入口付近に辛うじて一台留められる程度の余白がある。