天正3年(1575年)頃に吉川元長によって建立された寺院である。 元長は吉川元春の嫡男で、天正14年(1586年)父元春とともに秀吉による九州征伐に従軍した。しかし、天正14年(1586年)父元春は豊前国小倉城で没し、翌天正15年(1587年)には元長も日向都於郡で病に倒れて没した。
次男元氏は既に他家に養子に出ていたため、家督は三男の広家が継いだ。この広家のときに吉川元長の菩提寺として大きく改修された。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で敗れた吉川氏は毛利氏に従い周防国岩国へ転封となり、万徳院もまた岩国へ移された。
万徳院は日山城と吉川元春館の中間付近に位置しており、現在は吉川氏城館跡の一つとして国指定史跡となり整備されている。
中世寺院跡で長い参道を進むと寺院の石垣が見える。石垣は吉川元春館などと同じく、一定間隔で大きな石を用いた造りになっている。正面中央に表門、東に通用口があった。 現在ガイダンスホールとして再建されている建物が本堂の外観をモデルにしたものである。
岩国に移った万徳院は現在の岩国市横山3-9-1(地図)にある。
吉川元春館前の細い道を入って行けばガイダンスホールのある駐車場に至る。