築城年代は定かではないが南北朝時代末期に吉川経見によって築かれたと云われる。 駿河国入江荘吉川邑発祥の吉川氏は、経高が安芸国大朝荘に下向したのが始まりで、当初は駿河丸城を居城としたと云われる。その後、経見のとき小倉山城を築いて居城を移した。
その後、代々吉川氏の居城として続いたが、天文19年(1550年)養子に迎えた毛利元就の二男元春のとき、日野山城を築いて居城を移し、小倉山城は廃城となった。
小倉山城は新庄の北、小倉山一帯に築かれている。現在は吉川氏城館跡として国指定史跡となり公園として整備されている。
小倉山城は小倉山山頂の主郭を中心に北西に二ノ丸、北東に三ノ丸、南西に御座所などを配している。主郭一帯は発掘調査が行われており、検出した掘立柱建物跡などが展示されている。南西の御座所跡が居館跡と考えられている。
浜田道大朝ic出口を北へ行くと道標が出ている。国道261号線沿いにある図書館の中に大朝郷土資料館(無料)があり、そこに吉川氏関連の展示がなされており縄張図入りのパンフレットが置いてあるので、城跡の前によるのがよいだろう。