『芸藩通志』には「古壘 平家丸、毛利氏烽燧所、附 春木村にあり、土人は地藏菴と呼、吉川式部、或云、廣家所居、別に平家とよぶあり、又一古堡あり、毛利氏烽璲の所と云ふ、」とある。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』では「平家ヶ城」として標高619.6mの平家ヶ城山を調査し遺構が確認できなかったことから所在地不明として掲載されている。CS立体図で城跡らしき地形を確認したので現地調査した結果、遺構を確認したので「仮称 平家ヶ城」として紹介する。位置関係からこの遺構が所在地不明の平家ヶ城に該当する思われる。
東西二段で西側が高く主郭I、東に曲輪IIがあり内部は小さく段分けされている。周囲の切岸は高い。
東西両尾根を堀切1、2で遮断するが、堀切は竪堀が伸びない。曲輪は小規模ではあるが、曲輪I、IIがお互い張り出すように配置してあり、お互いの切岸にに横矢が掛かる工夫がされている。
南麓から望むと城のある峰と平家ヶ城山の標高がほぼ同じことから、城跡のある峰しか見えないのでこの位置に城が築かれたのだろう。
整備された道はない。西尾根を登ったが、北の平家ヶ城山経由で登るほうが良いだろう。