『芸藩通志』には「虚空免山、川西村にあり、一に小屋谷山と云 、高橋文助、所居」とある。
高橋文助は詳らかではないが、石見から安芸にまたがって勢力を持っていた高橋氏一族と推測されている。
川西城は千代田運動公園の北側にある標高465.2mの山に築かれている。
中心となる曲輪は小さな鞍部を挟んで東西にある曲輪群Iと曲輪群IIで、その周辺には堀切の外側にも小さな曲輪群II、IV、V、VI、VIIなどが確認できるが、いずれも外側の境界が曖昧で、段々と自然地形になっていく。
この城の最大の注目点は曲輪I、IIの間の小さな鞍部に設けられた竪石塁で、現状小さく開口しているため虎口のようにも見えるが、鞍部を塞ぐように石塁が設けられていた可能性もある。石塁の東側には横堀7があり、北から谷を登ってくると曲輪群IIから横矢が掛かるような配置になっている。
この城は全体的に堀切や竪堀が多数設けられているが、どちらかといえば北側からの攻撃に備えているようで、主郭Iの北側には四重堀切6がある。またI2の東側には虎口と考えられる開口部があるが、これは谷を塞ぐ石塁より南側にある。
主郭Iは三角点のあるI1を中心に北下にI2、西下にI3を配す。一部に土塁や石積が確認できる。
曲輪群IIは南北二段で南下のII2は高土塁があり、西や南側面に石積が確認できる。
主郭の西尾根には二重堀切11と畝状竪堀群10がある。南東へ伸びる尾根には少し離れた位置に堀切12があり、側面には竪堀状地形があるが、このあたりは自然地形のようである。
山道は色々な方向からついているが、東麓にある川西八幡宮背後の尾根から登るのがわかりやすい。神社参道入口に駐車可能。