築城年代は定かではないが室町時代と思われる。
城主は山県一族の有田氏と云われる。
永正12年(1515年)有田氏は安芸国
銀山城主武田氏が大内氏に反旗を翻したのに呼応すが大内氏の命によって出陣した毛利興元により落城する。(第一次有田合戦)
毛利興元が没すると武田氏が有田城に侵攻する。(第二次有田合戦)これに対して幼少の幸松丸が家督を継いだばかりの毛利氏は後見人である毛利元就が初陣で救援に向かう。
序盤毛利氏は熊谷元直を討ち取るなど優勢に進めたが次第に兵力差によって押し戻される。しかし、攻勢に出た総大将武田元繁が流れ矢に当たって討ち死にすると武田方は総崩れとなり毛利・吉川軍の勝利となる。