築城年代は定かではないが今田氏によって築かれた。
今田氏は山県氏の一族で壬生城主壬生氏、有田城有田氏と同族である。永享年間(1429年〜1441年)に山県満政が今田を領して今田氏を称したことに始まるとされる。
今田氏は安芸国守護武田氏に属していたが、永正年間(1504年~1521年)に武田元繁が大内義興から離反して没落すると、山県領域は吉川領となり、今田氏もまた吉川氏に従った。
その後、今田氏は吉川一族の経高が家督を継承して吉川氏一族となる。天正3年(1575年)には備中楪城の在番を命じられている。
今田城は今田の最深部にあり、今田川に面した比高110mほどの山に築かれている。現在は今田氏城館跡として登山道が整備されている。
山頂の主郭から南東に伸びた尾根に段々と曲輪群を連ねた縄張で、主郭の北西側と曲輪IIIの南側に土塁が確認でき、曲輪IIIには石組井戸が残る。
尾根先は現在登山道が通っている部分が堀切2で、その先にも土橋が架かった小規模な堀切1が確認できる。曲輪Vの北側に竪堀3があり、下方には山腹にある小段に続く山道が伸びている。
主郭の西背後には小規模な堀切4があり竪堀が伸びる。その先の尾根は自然地形であるが南北両脇に竪堀が確認できる。その先の鞍部も加工されているが遺構ではなさそうだ。
今田城への道標が出ており、今田城こぶしの名水も有名である。
今田城こぶしの名水の南側にあるグラウンドのようなところが駐車場であるがふだんはロープを張っているようである。