応永元年(1394年)木造雅俊によって築かれたと云われる。木造雅俊は北畠一族木造氏の庶流で初代木造顕俊の次男とされる。
天正5年(1557年)織田信長の伊勢侵攻によって落城した。
波瀬城は波瀬川に沿って東西に長く伸びた尾根上に築かれており、現在は登山道が整備されている。
東西に伸びる尾根上に堀切で区画した曲輪群が連なっている。曲輪は比較的急峻な南側に寄せて築かれており、北側面には比較的緩やかな地形が拡がる。
主郭は西よりの曲輪Iで西端に高土塁があり石塔や石仏を祀ってある。虎口は明確ではなく北東端部に旧参道とみられる切り込みがある。
主郭の西隣に曲輪IIがある。円形の窪みがあり井戸跡かもしれないが違和感はある。西端に土塁を備え、西側は高い切岸で横堀として尾根を断ち切っている。
主郭から東へ続く尾根には曲輪III~VIIが尾根上に続き、北側面には腰曲輪Vなどがある。曲輪VIIの北側面には竪土塁7、8があり、腰曲輪のような緩斜面地形や虎口のような開口部Aが確認できるが、具体的な用途はわからない。腰曲輪Vも東辺の切岸が高くなっていることから、北側面の横移動を抑止する施設と推測される。
東尾根はさらに自然尾根が続くがその先に堀切9と堀切10がある。堀切10は尾根の南端に土橋を残してある。
南麓に登山道入口があり、橋を付け替えた旧道部分が駐車場になっている。山道はコンクリート舗装されており登りやすい。
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