文禄3年(1594年)佐竹義宣によって築かれた。 天正19年(1591年)佐竹義宣の命によって、島崎城主島崎安定など南方三十三館の城主は謀殺された。佐竹氏は島崎城に代わる拠点として大台城を築き、小貫頼久を城代とした。 慶長元年(1596年)に完成したが慶長7年(1602年)には佐竹氏は秋田へ転封となり、大台城は廃城となった。
大台城は現在の牛堀中学校のある台地に築かれていた。 現在は中学校の建設により大半の遺構が消滅しているが、一部の土塁と堀は残っているようだ。
大台城は中学校の南端あたりに主郭、その北に二郭、そして北西の宅地になっている辺りに三郭、西郭となっていたようである。中学校の正門脇に石碑と案内板が設置されている。大半の遺構は消滅しているようなので周囲を確認した程度であるが、北西の民家の入口付近に総堀跡は確認できる。