詳細不明。大掾氏一族で鹿嶋氏分流の塚原氏の居城で、剣聖として知られる塚原卜伝も一時期城主であった。
塚原卜伝は延徳元年(1489年)に常陸国一之宮鹿嶋神社の神職卜部家吉川左京覚賢の次男として生まれ、塚原城主塚原土佐守安幹の養子に迎えられ、塚原新右衛門高幹と称した。天文元年(1532年)に家督を継いで塚原城主となったものの、家督を養子の幹重に譲り修行の旅に出ている。
塚原城は台地の西端から北へ伸びた台地の先端に築かれている。
台地の北端部に主郭と思われる曲輪群があり、土塁が巡り東へ三段の曲輪となっている。南側には空堀があり、南へ続く台地にも曲輪と堀らしき地形が見えるが、畑となって立ち入り禁止になっているので詳しくはわからない。
近くに塚原卜伝の墓が残っている。
山道は付いているが、道標も何も出ていない。北から入って行ったが、南側からだと台地の上まで農道が付いている。
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