剣聖として知られる塚原卜伝は延徳元年(1489年)に常陸国一之宮鹿嶋神社の神職卜部家吉川左京覚賢の次男として生まれた。その後、塚原城主塚原土佐守安幹の養子に迎えられ、塚原新右衛門高幹と称した。天文元年(1532年)に塚原城主となったものの、家督を養子の幹重に譲り、修行の旅に出かけ、京では将軍足利義輝、伊勢の大名北畠具教などに剣を教えた。その後、この地へ戻って草庵に住み、元亀2年(1571年)に83歳で亡くなったという。
塚原卜伝の墓はかつての梅香寺にあったとされるが、現在寺院はなく墓のみが現存し市指定史跡となっている。位牌は近くの長吉寺にあるようだ。