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常陸国府国史跡
茨城県石岡市総社1東海道の終点に位置する常陸国は、延喜式の格付けでは大国・遠国である。
常陸国は上総国・上野国とともに親王任国であり、国守には親王が任ぜられ、国務は常陸介が行った。
常陸国衙は八世紀初頭前後に成...
常陸国分寺特史跡
茨城県石岡市府中5常陸国分寺は石岡市府中5丁目にある常陸国分寺境内一帯に築かれていた。
寺領六万束は全国の国分寺の中でも最大級であり、寺域の規模は東西270m、南北240m程であった。
昭和52年の発掘調査で現在の...
常陸国分尼寺特史跡
茨城県石岡市若松3常陸国分尼寺は府中小学校の北側、石岡市若松3丁目一帯に築かれていた。
伽藍の配置は南北に南大門・中門・金堂・講堂・北方建物と並んでいた。出土した瓦は国分寺のものと同様であるが、国分尼寺の正式名称であ...
塚原卜伝の墓市史跡
茨城県鹿嶋市須賀剣聖として知られる塚原卜伝は延徳元年(1489年)に常陸国一之宮鹿嶋神社の神職卜部家吉川左京覚賢の次男として生まれた。その後、塚原城主塚原土佐守安幹の養子に迎えられ、塚原新右衛門高幹と称した。天文元年...
常陸大掾氏墓所市史跡
茨城県石岡市国府5-9(平福寺)大掾氏は桓武平家、平国香の末裔で代々常陸大掾職を世襲したことから大掾氏と呼ばれるようになった。
大掾氏はこの地に根付き、吉田、真壁、行方、鹿島など多くの支族を輩出して勢力を拡げていく。しかし、天...
信太範宗の墓市史跡
茨城県土浦市木田余信太範宗は木田余城主で小田氏治に仕えていたが、佐竹氏に内通したと疑われ土浦城で謀殺されたと云われる。
この墓はかつての木田余城内にあり、信太範宗、その妻、嫡子紀八の墓とされる。
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