東海道の終点に位置する常陸国は、延喜式の格付けでは大国・遠国である。 常陸国は上総国・上野国とともに親王任国であり、国守には親王が任ぜられ、国務は常陸介が行った。
常陸国衙は八世紀初頭前後に成立したと考えられ、多珂(多賀)郡・久慈郡・那賀(那珂)郡・新治郡・白壁(真壁)郡・筑波郡・河内郡・信太郡・茨城郡・行方郡・鹿島郡の十一郡を統治していた。
国庁は現在の石岡小学校の校庭に眠っていると考えられており、昭和48年より発掘調査が継続して行われ、多数の大型柱穴や溝跡が検出され、少数ではあるが軒丸瓦も出土している。