常陸国府ひたちこくふ

城郭放浪記


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文化財指定
国指定史跡
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説 明

東海道の終点に位置する常陸国は、延喜式の格付けでは大国・遠国である。 常陸国は上総国・上野国とともに親王任国であり、国守には親王が任ぜられ、国務は常陸介が行った。

常陸国衙は八世紀初頭前後に成立したと考えられ、多珂(多賀)郡・久慈郡・那賀(那珂)郡・新治郡・白壁(真壁)郡・筑波郡・河内郡・信太郡・茨城郡・行方郡・鹿島郡の十一郡を統治していた。

国庁は現在の石岡小学校の校庭に眠っていると考えられており、昭和48年より発掘調査が継続して行われ、多数の大型柱穴や溝跡が検出され、少数ではあるが軒丸瓦も出土している。

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2:国庁が眠る石岡小学校の校庭
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4:箱式石棺
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5:風間阿弥陀
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7:常陸国府跡の案内板
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11:発掘された東脇殿跡
所在地/地図
茨城県石岡市総社1
関連史跡(直線距離)
0.2km 総社・総社
0.8km 常陸国分寺
1.3km 常陸国分尼寺
27.0km 三宮・吉田神社
37.2km 二宮・静神社
40.9km 一宮・鹿島神宮
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