養和元年(1181年)鹿島政幹によって築かれたと云われる。 鹿島氏は常陸大掾氏一族の吉田氏庶流で、吉田清幹の子が鹿島三郎成幹を名乗り粟生城に居たが、その子政幹が吉岡城を築いて移ったという。
以後代々鹿島氏の居城となったが、天正19年(1591年)佐竹義宣の「南方三十三館の仕置」によって鹿島晴房は常陸太田城にて謀殺され鹿島氏は滅亡した。
鹿島城は鹿島神社の西に築かれている。現在鹿島城山公園となっている所が本丸で、南に二の丸があった。
本丸は広大で周囲に土塁が巡っており、現在は遊歩道になっている。周囲の土塁の他に、曲輪内にも区画するような土塁や溝が残っている。本丸は東に土橋が架かる虎口があり、その南北両側に大きな空堀が残っている。かつては西から北麓に掛けて水堀があったとされる。
鹿島城山公園内に駐車場がある。
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