築城年代は定かではないが島崎氏によって築かれた。 島崎氏は大掾氏の庶流行方氏の一族で、行方景幹の次男高幹二郎が行方郡嶋崎に住んで島崎氏を称した事に始まる。
大永2年(1522年)島崎利幹は同族の長山城主長山幹綱を攻めて自刃させ、天文5年(1536年)にも玉造宗幹を攻め、天正12年(1584年)には麻生城主麻生之幹を攻めてこれを滅ぼすなど、南方三十三館と称された諸豪族の筆頭となった。
天正19年(1591年)佐竹義宣の命によって、島崎安定など南方三十三館の城主は謀殺され島崎氏は滅亡した。
島崎城は古宿地区にある台地の南端に築かれている。
主郭とみられる南端の曲輪には御礼神社が鎮座しており周囲に土塁が残る。 主郭から北へ空堀で区画された曲輪が続き、空堀と西側に向かって概ね土塁が付いている。