播磨 御着城はりま ごちゃくじょう
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永正16年(1519年)小寺政隆によって築かれた。 小寺氏は赤松氏の一族で佐用荘の地頭を務め、戦国時代には御着城を居城とした。
中世末期には三木城・英賀城とならんで播磨三大城の一つに数えられ、北と東が四重の堀、南と西が二重の堀で防御していた。また、姫路城は当時この御着城の出城として用いられていた。
天正6年(1578年)または7年小寺政職の時に羽柴秀吉に攻められ落城、廃城となったという。
現在は本丸跡の一部が御着城公園として残っている。