播磨 庄山城はりま しょうやまじょう

城郭放浪記


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播磨 庄山城の写真
掲載写真数
形態
山城(194m/140m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
赤松貞範,赤松顕則,赤松則貞,八杉藤五郎,原伊四郎,小寺康職,小寺祐職,小寺福職,小寺政隆,長浜長秋,別所重棟,黒田長興
歴 史

貞和5年・正平4年(1349年)赤松貞範によって築かれたと云われる。 興国7年・正平元年(1346年)父則村が縄張し、貞範が築いた姫山城から僅か3年で居城を移し、姫山城には一族の小寺頼李を置いた。

応安3年・建徳元年(1370年)赤松貞範が没すると嫡男顕則が継いで篠丸城から移るが、僅か2年で没し、顕則の次男則貞が継いだ。その後、則貞は鉾山城へ移り、甥の赤松貞村が領し家臣八杉藤五郎が支配したという。

嘉吉の乱で赤松氏が没落すると、山名持豊の家臣原伊四郎が在城したが、文明元年(1469年)赤松政則が再興すると小寺康職が城主となり、祐職、福職と続くが、享禄2年(1529年)福職は塩田城へ移り、御着城より小寺政隆が入った。しかし、享禄3年(1530年)政隆は浦上村宗に攻められ討死する。政隆の子則職は翌年摂津の合戦で浦上村宗を討ち取り御着城へ戻ると、その家臣長浜長秋が城主となった。

永禄年間(1558年〜1570年)頃には三木城別所氏の一族別所重棟が城主となるが、天正8年(1580年)三木城が落城すると庄山城は黒田長興が領し、元和年間には小笠原忠真の支配となるが、明石へ移って廃城となったという。

説 明

城は庄から豊国にまたがる標高193.9mの通称城山の東側に築かれている。

主郭は東の峰にあり、南下にある帯曲輪へ降りる途中に僅かに石積が残っている。 主郭から東へ数段の削平地があり、北端を土塁状に残した曲輪を経て南東の峰まで曲輪が続く。

主郭から西へ行くと堀切を隔てて削平地が連なり西峰に達する。西峰の山頂の曲輪は西端に土塁が残り、ここから南へ向かう尾根に曲輪が連なる。南へ続く曲輪は西側がやや高くなっている部分が多く、土塁があったようである。

案 内

旧国道372号線から城山の東側にある城山中学校への入口の所に案内板があります。登山道があるようなのですが、わかりません。南西にある医王寺・大歳神社の裏から道が通じていますが、途中から踏み跡をロストしてしまい、自然林なので登るのに苦労しました。城山は全体的に自然林で尾根筋は道がありますがあまり良い道ではありません。東側の方がよく歩かれているようですので、城山中学校から谷外小学校付近から登山道がありそうです。

最寄り駅(直線距離)
2.6km 砥堀駅
3.0km 野里駅
3.6km 御着駅
3.7km 京口駅
3.9km 東姫路駅
所在地/地図
兵庫県姫路市飾東町庄
付近の城(直線距離)
2.1km 播磨 石積山城
2.7km 播磨 国分寺構居
3.4km 播磨 御着城
3.7km 播磨 佐土構居
4.6km 播磨 姫路城
4.6km 播磨 柴崎山城
4.8km 播磨 広峰山城
4.8km 播磨 別所構居(姫路市)
5.4km 播磨 太尾城
6.8km 播磨 田野城
6.9km 播磨 妻鹿城
7.0km 播磨 助永構居
7.3km 播磨 南山田城
7.6km 播磨 上野構
7.7km 播磨 的形城
7.8km 播磨 山下城
8.0km 播磨 天神山城(加古川市)
8.1km 播磨 志方城
8.4km 播磨 赤坂山城
8.7km 播磨 福泊構居
8.7km 播磨 坂本城
8.7km 播磨 番城山城
8.7km 播磨 善防山城
8.9km 播磨 細工所陣屋
最終訪問日
2009年4月
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