詳細不明。朝倉景鏡の城とも伝えられるが、朝倉氏の家臣島田将監正房の城と考えられている。
西光寺城は勝山ICの西側、東へ伸びた丘陵の頂部に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、西側を大堀切5で切り離して東側を城域とする。主郭Iは周囲が一段低くく、北に向かって小さく段が分かれており、北下には腰曲輪IIがつく。
堀切4を挟んだ西側に曲輪IIIがあり、北側に向かって三段ほどに分かれている。曲輪の西端部分は土塁がスロープになるように残してある。主郭との間にある堀切4は南端がほぼ繋がっているが、側面には竪堀が伸びており、北は曲輪と同じ高さになる。
この城の最大の特徴は畝状竪堀群で、曲輪III北側と主郭をほぼ全周するものがあり、総数は40条を超えている。
この主郭部から遠く離れた標高240mの尾根を遮断する堀切6がある。登山道の途中にあるのでわかりやすいが、位置や形状からすると鉄塔側が城内となるような堀切である。
南山麓に西光寺城と書かれた大きな看板があり、その脇に登山口がある。駐車場はなく、看板に到達する手前にある神社付近か農道の終点に駐められる。
登山道は一旦標高240mの鉄塔を経由して尾根を降って城へ続く道になっている。東尾根にも道は続いているがどこに通じるのか不明。
最寄り駅(直線距離)