築城年代は定かではないが一向一揆によって築かれたと云われる。
一向一揆の将は島田将監正房で旧朝倉家臣であった。島田将監は勝山の一向一揆を率いて朝倉景鏡を匿った平泉寺と戦っており、このために三室山城が築かれたとされる。
天正2年(1592年)一向一揆は平泉寺との戦いで勝利し、景鏡は討死、平泉寺も焼失して滅亡した。
三室山城は九頭竜川西岸の比高50mほどの独立丘陵に築かれおり、現在は遊歩道が設置されている。
主郭は南峰で東西二段、北に腰曲輪IIを備える。主郭の北側面には四条の畝状竪堀群1があり、腰曲輪IIは竪堀側に土塁を伴う。
南は南から東は急坂であるが、東側には三条ほど竪堀が確認できる。一番南はV字の堀切のようでもあり、一番北側は尾根道が遊歩道になっているためはっきりしないが、堀切から伸びる竪堀であったかもしれない。
北峰はほぼ自然地形で曲輪かどうかはっきりしないが、三室山城の案内板が設置されている。
西麓に春日神社があり、境内から遊歩道がついている。駐車場はないが、鳥居の南側に駐車可能である。
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