築城年代は定かではない。天文20年(1551年)春日山城主長尾景虎と坂戸城主長尾政景が交戦状態にあったとき、板木城は政景の家臣金子尚綱、発智長芳などが守っていた。
天正6年(1578年)上杉謙信の急死によって御館の乱が勃発すると、三郎景虎を支援する小田原北条氏が上野から越後国上田庄に侵攻、荒戸城と 樺沢城は落城し、北条軍は樺沢城を拠点として坂戸城や周辺の諸城を攻撃した。このとき板木城も攻撃されている。
板木城は南魚沼市と魚沼市の境目にある標高357mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂の主郭から東西南北四方に伸びた尾根に曲輪を展開しているが、登山道がない南北尾根は横に伸びた雑木林に阻まれて思うように進めず踏査を断念した。『微地形表現図』で確認すると南尾根は特に長い曲輪があり、その先に堀切なども確認できる。
主郭は城山山頂にあり城内で最も広い曲輪でやや段差があるが南端が最高所となる。主郭西中央に西尾根の曲輪II、IIIに続く虎口が開口する。
東西尾根を遮断する堀切群は幅はさほどでもないが深く鋭く切れ込んだV字のまま現存しており、ロープや簡易階段がなければ容易に乗り越えられない状態で現存している。また、西の二重堀切の北側、曲輪IVの北側面に畝状竪堀群が確認できる。
西麓の西福寺の前から林道が山上のテレビ塔まで通じており、終点に駐車可能である。尾根道は長いが高低差は少なく歩きやすい。
最寄り駅(直線距離)