築城年代は定かではない。 室町時代に長尾宗景が上杉憲顕より上田荘を与えられ入部した。
上田長尾氏は長房、政景、景勝と続き、景勝は上杉謙信の養子となり春日山城に移ったので、栗原、登坂、深沢など景勝に近い武将が在城した。
謙信没後「御館の乱」が勃発し上杉景勝と上杉景虎が相続を争うようになると、小田原北条氏が荒戸城と樺沢城を攻略したが、その侵攻を坂戸城で食い止めた。
上杉氏が会津へ移封となると、堀秀政が福島城に入封となり、坂戸城には家臣堀直寄が三万石で入城した。
堀氏が改易となると、直寄は信濃国飯山へ移封となり、廃城となった。
まずびっくりしたのが人の多さだった。 どうやら人気のハイキングコースらしい、登って気が付いたのだがカタクリが人気なのか。
薬師尾根コースをひたすら山頂まで、最後のひと登りは鎖のついた岩場、けっこうきつい。
縄張は山頂の実城を中心に尾根に多数の曲輪を配している。主要なものでも東南に伸びる尾根に小城と大城、北に伸びる尾根に主水郭、その西下に桃之木平がある。
山頂の実城には櫓台に富士権現が奉られており、石積を伴う曲輪もある。 小城、大城方面にはいくつかの堀切があり、大城は土塁が良く残っている。ただ、カタクリのおかげで自由に歩けない。
北に伸びる尾根にも多数の曲輪、堀切を越えて主水曲輪に辿りつく、そこから西南に降りると桃之木平で、ここもカタクリで埋め尽くされている。
登山道はいくつかあるようだが、西麓にある銭淵公園に案内がある。 大手道は館跡から七曲の急坂を登る。薬師尾根が比較的楽なようだ。
最寄り駅(直線距離)