築城年代は定かではないが、応永28年(1421年)頃に大関氏によって築かれたと云われる。
上田長尾氏の家臣大関氏の居城で、戦国時代末期の大関親憲のときに水原へ移り水原親憲と名乗る。
大関氏の後に浦佐城には清水藤左衛門が在城する。天正6年(1578年)御館の乱のとき、清水氏は上杉景勝に味方し小田原北条氏の軍勢に攻められたが、これを撃退したという。
浦佐城は浦佐駅の西に聳える標高250m程の薬師山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
西の山塊から東へ細長く伸びた山に築かれており、東西に堀切で区画した曲輪を連ねる。最高所付近に東西二つの曲輪があり、現地案内では東を実城(主郭)としているが、西の方がやや高く、土塁なども備えており西が主郭の可能性もありそうである。
西背後の尾根は二重堀切の先にもう一条の堀切があり三条の堀切で遮断している。一方東端からは南東側に掛けて曲輪群があり、竪堀や土塁、横堀などを備え、しっかりとした大手の虎口がある。また南北の帯曲輪の辺りに若干の畝状竪堀群も確認できる。
東麓に普光寺・毘沙門堂があり観光用駐車場がある。登り口はこの裏手にあり、観光案内板に場所が書いてあるのでわかりやすい。
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