詳細不明。案内板によれば清原武則の長子武貞の居城とする説があるようであるが、現在の遺構は戦国時代のものである。
鎧ヶ崎城は西へ伸びた比高50mほどの丘陵に築かれている。
東西にやや長い楕円形の曲輪があり、内部は軽微な段差で区画され、東端が最高所となる。若干縁が高くなるところはあるが、明確な土塁はない。南中央に虎口があり、そこから下るスロープが南山腹に続いている。
曲輪の周囲には横堀と竪堀でビッシリと埋め尽くされているが、その様相は様々である。
東の尾根背後側には横堀1があり、二ヶ所開口しているが、横堀の土塁自体がややズレて段違い気味になっている。これは西側面の横堀4の部分も同様である。
北側の畝状竪堀群5のあたりは斜面に連続した竪堀を落とす一般的な畝状竪堀群の様相であるが、竪堀は長くても5mほどである。
南側面、虎口スロープの東側は上下2つの竪堀地形に分かれており、上と下で竪堀位置がズレている部分もある。
西側の畝状竪堀群3のあたりは上が竪堀で下方が横堀となり、横堀4は両端が竪堀になって落ちている。
西麓の民家の前に案内板が設置されている。少し南へ進むと路側帯があり駐車可能である。ここから谷筋を尾根の背後に向かって登って行くのが登りやすい。
最寄り駅(直線距離)