築城年代は定かではない。古くは奥州藤原氏、藤原秀衡の従兄弟樋爪五郎季衡が築いたとの伝承がある。
米沢の長井氏を滅ぼした伊達宗遠と政宗(儀山)がこの高畑城を改修し拠点とした。
上杉氏の時代には直江兼続の家臣春日元忠が在城していた。
明和4年(1767年)上野国小幡藩主織田信邦が山県大弐の明和事件に関係して蟄居を命ぜられ、弟信浮が家督を相続し出羽国置賜郡・村山郡、陸奥国信夫郡などで二万石を与えられ高畑へ転封となった。天保元年(1830年)織田信美のとき、天童への陣屋移転が許され天童藩へと移った。
高畑城は現在の高畠小学校を中心に築かれていた。高畠小学校の辺りが本丸、西に二の丸、南に三の丸があり、大手は西であったという。現在はわずかに小学校の西側に水堀が残されているだけで、町指定史跡となっているのはこの水堀だけである。