応永5年(1398年)伊達政宗(儀山)によって築かれた。
鎌倉公方二代足利氏満の命によって伊達政宗が築いたもので、その後は鎌倉公方の代官湯目氏が在城した。
湯目氏は上野国片岡郡湯目郷の出自で初代資綱、資重が鎌倉公方の代官として務めたが、三代湯目重房の頃に伊達氏に従った。天文の乱の功によって湯目重久は津久茂館を与えられた。湯目氏は九代景康のとき伊達政宗の岩出山移封によって佐沼城へ移り、その後津田氏を称した。
大橋城は羽州街道に面した平地に築かれていた。『山形県中世城館跡調査報告書』によれば、方形に近い単郭の城で西側は現在の国道13号線の所に堀があった。現状では田畑となっていて殆ど遺構は残っていないようである。