出羽 洲島城でわ すのしまじょう
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築城年代は定かではない。
天文11年(1543年)の天文の乱以前は伊達稙宗の家臣富塚近江守仲綱の所領であった。乱の後は伊達晴宗の家臣湯目雅楽允が城主となった。
洲島城は鬼面川、最上川などが合流する地点の西にある平地に築かれていた。
洲島城は本丸を中心に東は最上川、西は長福寺、八幡神社の辺りまで外郭が築かれていたようである。本丸部分は田畑となっているものの、堀跡が残り、曲輪部分はわずかに高くなっている。西の八幡神社の本殿背後に土塁があり、これも遺構なのであろうか。