出羽 一本柳館でわ いっぽんやなぎだて
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築城年代は定かではない。伊達氏の家臣浜田氏の居館で、浜田景隆は伊達政宗の信頼厚く、人取橋の戦いなどで陣代を務めた。
天正20年(1592年)伊達政宗の岩出山移封にともない浜田氏はこの地を去ったが、一族の樋口氏が残ったという。
一本柳館は満福寺の東側一帯に築かれていた。
満福寺東側の道路沿いに案内板が設置されており、そこから東へ進んで右側にある幅広の水田(いまは池のよう)が堀の名残で、その東側が主郭であったという。